2003/07/25 柳井伊都岐さんの模写魂
23日付の朝日新聞「ひと」欄に、非常に関心を引きつけられる記事が載っています。「25年かけてグリューネバルトの名画を模写した」画家についての記述があったからです。

25年間といえば、「オギャー!」と産まれた子供が小学校へ上がり、中学・高校と卒業し、成人式も終えて人によっては結婚を済ませ、自分の子供さえいても不思議ではない年齢に達するほどの年月です。いわゆる四半世紀で、それを模写(もしゃ:まねてうつすこと。また、そのうつしとったもの=広辞苑)だけに費やすということは並大抵のことではありません。

この朝日新聞の「ひと」欄は本コーナーでも何度か取り上げさせてもらっているコーナーで、その時々で話題になった人物や旬の「ひと」が毎回一人ずつ取り上げられています。

で、今回の「ひと」に登場なさっている25年間模写一筋でこられた画家は、名前を柳井伊都岐(やないいつき)さん(52歳)といいます。彼については以前にも美術雑誌で紹介されたのを読んだことがあり、個人的には知っていました。

その柳井さんが一枚の模写に励み、25年かかってようやく完成に漕ぎ着けた作品は、その画家自身が非常に謎めいているといわれるドイツ・ルネサンスの巨匠マティアス・グリューネバルト(Matthias Grunewald)の『イーゼンハイム祭壇画・第一面中央画〈キリスト磔刑図〉』(269×307センチ/1512〜16年頃/ウンターリーデン美術館)です。

ちなみに「磔刑(たっけい)」とは、「はりつけの刑。はりつけ=広辞苑」のことで、いうまでもなくそこではりつけにされているのはイエス・キリストです。

今私の手元には、粟津則雄(あわづのりお:1927年愛知県に生まれる。旧制三校を経て、1952年、東京大学仏文科卒。フランス文学者)さんがお書きになった『聖性の絵画 〜グリューネバルトをめぐって〜』(日本文芸社/1982年12月12日第一刷印刷)(→ 手持ち同書籍の画像)という本があります。

その表紙をめくるとまず目に入るのが、見開きの形で載っているグリューネバルト作『キリスト磔刑図』です。

この画題は、古今東西数え切れないくらい多くの画家によって描かれてきました。その画題にグリューネバルトも挑んでいるわけですが、私たちがよく見知っているイタリアなど南欧の絵画に比べ、彼の手になる作品は全く異質な光を放っています。

一つには、彼はドイツの画家ということもあり、イタリアなどに比べて北方に位置する画家特有の重苦しさが彼の画風にも現れていると見ることもできます。が、それだけでは説明し切れず、やはり、彼独特の感性がその絵画を成り立たせていることになりそうです。

背景は真っ暗で、画面の正面いっぱいに磔(はりつけ)になったイエスの姿が描かれています。それは見るからに異様で、絵画的な美しさははじめから完全に排除されているかのようです。

身体には無数の点々とした傷があり、見ようによっては、腐った死体にハエがたかっているかのようにも見えます。口は半開きで、唇は既に血の気を失って白く、あるいは緑色に見えます。もしも絵画に臭いがついているとしたら、鼻をつまみたくなるほどの異臭が漂ってきそうです。

その作品に柳井さんが運命的に出会ったのは1977年夏のことだったそうです。

それは彼がパリの美術学校に留学した年で、27歳になっていました。その時のことを柳井さんご本人は「ちょうど画家としての目的を探しあぐねていたころ(です)。あの絵にすがったんでしょうね」(カギ括弧内は2003年7月23日付け朝日新聞「ひと」欄より抜粋。以下、同)と振り返っています。

ドイツ・ルネサンス絵画の巨匠といわれるグリューネバルトによって描かれたこの実にむごたらしい磔刑図に強烈な衝撃を受けた柳井さんは、ドイツからパリに戻る列車の中で、模写することを決心したそうです。

模写とは、文字通り元の作品を写し取る行為ですが、昔の画家はみなそのようにして先達の手仕事を自分のものにし、そこから新たに自分独自の絵画世界を追求していきました。しかしそうした伝統は、印象派絵画の登場に歩調を合わせるように廃(すた)れ、同時に本来あるべき絵画技法の基礎の大切さも省みられなくなってしまいました。

ともかくも、模写を決心した柳井さんは、グリューネバルトの作品があるドイツの・コルマールに居を移しての模写専念の生活が始まりました。しかし、それが想像を超えて困難な作業で、結果的には3度目の描き直しによってようやく完成に漕ぎ着けることができました。

彼はその間も悩み続け、年齢が40代に達したときには「何でこんな人生に」と自分の運命を恨み(?)、「2度目に挫折した10年目には自殺も頭をかすめた」と今回告白されています。

記事には完成した模写の前に佇む柳井さんの写真が掲載されていますが、取っ付きにくそうなその風貌が、孤独な作業を続けてきた男の人生を証明しているかのようです。

それにしても、25年をかけて完成させたわけですが、それだけの年月をかけて痛切に感じたのはグリューネバルトという画家の偉大さ、宗教観の高さだったようです。それを彼は次のような言葉で表現しています。

「彼(グリューネバルト)のように宗教的な高みを目指すのは私には無理。あの色の深さを追求するだけで精いっぱい」
ちなみに、模写に使った主要色をルーブル美術館で分析してもらったところ、原画のソレとほぼ一致したそうです。

ともかくもグリューネバルトの“呪縛(じゅばく)”から晴れて解放された(?)柳井さんは、残りの人生で模写から学び取った技術や精神性を自作の創作に生かしていくことになります。

「模写がどれだけ生かせるか」。25年の“修行時代”を終えた52歳の柳井さんの画家としての人生は、今まさにスタートが切られたばかりです。

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